ボーカルコンプレッサーの使い方を知る【前編】

・コンプレッサーについてより深く知りたい。

・歌にコンプレッサーをかける上で知るべきことは無いのか

そんな、悩みにお答えします。

本記事の内容

  1. コンプレッサーを使用する理由
  2. ユーザーの視点
  3. アーティフィシャルとナチュラルから考える

この記事を書いている私は、ミックス歴5年ほど

下記のツイッターモーメントから私がミックスしている曲が聴けます。

現代においてコンプレッサーといえば、私たちがミックスをする上で最重要と位置づけるエフェクトです。

本記事では、コンプレッサーを使用する上で我々ミキサーが考えなければならない概念について、解説および考察をしていきます。

なぜコンプレッサーを使用し、ダイナミクスをコントロールする必要があるのか、という視点からはじめ、後編ではボーカルコンプレッサーへの実践的な思考法を解説していきます。

当たり前と思う点も改めて認識することで、ミキシングの思考をさらに客観的かつ論理的な視点から見直すことができるでしょう。

また、内容的に上級者向けの記事として執筆していますが、初級者の方にも「読み物」として楽しんでいただけるように、随時に具体例を用いて内容を進めていきますので、最後までご覧いただけると幸いです。

本記事をより深く理解するために、フレッチャーズマンソン曲線(最小可聴値)の理論については、触れておくことを推奨します。

最小可聴値(Wikipedia)

コンプレッサーを使用する理由

なぜコンプレッサーを使用するのかというと、簡潔に「スピーカーやヘッドホン、イヤホンから音を聞くようになったから」です。

コンプレッサーの機能は音量の上下を無くすというものですね。

単純なことですが、現代音楽(スピーカーから出力される音楽)に慣れきってしまった私たちが、この根本的な機能について考える機会は非常に乏しくなってしまいました。

この機能を少し分解すると、時間軸的に音をフラットにしているということです。

ではなぜ、音量差を過度に(過度にというのは本来人間の認知に収まっているにも関わらず、さらに音量差を無くすという意味合い)コントロールする必要があるのか。

それはスピーカー(もしくはヘッドホンやイヤホン)が、音量差+帯域ピークに弱いからです。

たまにピアノ音源をいじっていて、いきなりハイトーン単音のフレーズが入ると、途端に音が歪むことがあります。

これは内的(内的というのは、データ上もしくは、本来生音で聞いた時の人間の認知上という意味合い)に音が歪んでいるわけではなく、出力時にスピーカー地点で歪んでいるのです。

つまりひとつの起源として、「この事象は解決すべき問題だよね?」と結果的に用いられたのがコンプレッサーやEQであると認識しておけば良いと、私は考えています。

ユーザーの視点

音楽の大衆化とコンプレッサーにはとても深い繋がりがあります。

現代の音源のミックスはほぼ全て、コンサートホールで聞くオーケストラ演奏などの生音の音量以下でかつ、スピーカーから音を出して聞くことが前提と考えていただいて良いかと思います。

まず単純に、一番音の大きな部分に音量を合わせた時に小さい部分が聞こえないという問題が生じます。

加えて、ハウリングを想像してみてください。ハウリングとはある空間特性もしくは機材特性において、一点の帯域が入力と出力でループする状態です。

音源における突発的なピークというのは、極端に言えばハウリングに近い状態にあります。

ハウリングは耳障りですよね?

さらに、前項でも述べた通り、こういったピークはスピーカーの鳴りを制限してしまいます。

ではこれらの点を踏まえ、さらに考えていきます。

音量を大きくすればするほど人間は音をフラットに認知(仮に音源がフラットでないとしても)する傾向にあります。※心理物理学的測定法に基づき。

もう一つは、事実として大音量で音楽を聴くと「気持ちいい、良い音に聞こえる」というものがありますね。

つまり、フラットである(帯域的偏りがない)ことが理論的には良い音(心地よい音)と認識されるように人間ができているということです。

ここまでが、「ユーザー(人間)の視点」です。

仮に、これらの「いい音理論」だけで思考した場合、「究極のサウンドはRMS-0の砂嵐音(時間的帯域的に完全フラットな)」になってしまいますね。笑

しかし、砂嵐では音楽でなくなってしまいますよね……

次の章では、その「音楽的なサウンド」部分について、アーティフィシャルとナチュラルの観点から考えていこうと思います。

アーティフィシャルとナチュラルから考える

  • 現代の洋楽は、マスタリングにおいて、この突発的なピークや帯域の偏りは極限まで削られ、極端に心地よい音を念頭に調音されています。
  • 逆に邦楽においては、結構この突発的ピークには鈍感な感じでマスタリングされていたりします。

定義

  • アーティフィシャル:ピークや帯域の偏りがほぼ無い音作り(洋楽的な)
  • ナチュラル    :ピークや帯域の偏りが残った音作り(邦楽的な)

ここでは、アーティフィシャルとナチュラルのどちらが良いか悪いかについて考えるのをやめてください。

事実とそこから推察されるユーザー(人間)の「嗜好性」について考えていきましょう。

ここから少しボーカルにフォーカスを初めていきます。

この概念はボーカルで考えると理解しやすいかと思いました。


英語の場合

例えば英語の場合、一音符の中に複数の言語的要素が含まれます。

そこに処理をしていき、ピークを消し、加えて帯域の偏りも減らしたとしても、帯域移動(言語的抑揚)が残せます。

ここでいう帯域移動とは、音程的な意味合いではなく母音が変化すること、フォルマントのことです。

つまり、ボーカルがずっと同じ音量で、同じレンジ感で滞在し続けたとしても、音的に言語を解釈できるのです。

昔の人口音声などいい例です。

発音記号だけで発生させているはずなのに、英語は割と流暢に聞こえていましたよね。


ある程度のレンジを持った(ハウリング的でない)帯域の塊が移動したり、レンジが変わったりすることで音楽的なサウンドを表現しているのです。

例えば洋楽で、四つ打ちの上に2・4でスネアが乗っているもので突発的ピークがないもの(キックとスネアの音程差によって、サウンドの重心やレンジ感が変容しないもの)を想像してください。

1・3と2・4地点で音量差はありませんよね?でも気持ち良く聞こえ、ノれてしまう。

これがここで示すアーティフィシャルサウンドです。

日本語の場合

逆に日本語を考えましょう。

せっせとピークを消して、滑らかなサウンドを追求したとします。

はい、ご想像の通り棒歌になります。

昔の人口音声ver日本語です。笑

なぜかというと、マシンガン言語(音楽において基本一音符に一文字かつ、一文字に母音一個or子音一個+母音一個)の日本語は「音量差」でしか言語的抑揚が再現されないからです。

それで、ここまで音楽が「音源化」した現代でも邦楽は結構ナチュラルサウンドなんですよね。

例えば、日本人の英語が片言に聞こえるのも、逆に外国人の日本語がなんか変に聞こえるのも、抑揚の概念が違うところから来てます。

もうこれは、赤ちゃんの頃から訓練された身体で再現されているので、どっちが良いとか思っても、我々ミキサーが受け入れなければならない事実としてそこに存在します。

ここで探求しなければいけない課題が発生します。

それは、ピークとされないために必要な帯域レンジはどのくらいか、どれくらいの音量差からピークなのかということです。

私が知る限りここに答えは無いような気もしています。しかしどこかで線引きをしなければ、「このトラック、もしくはこの音源の処理は十分である」として作業を終えることができません。

私の線引きは、「自分のモニター環境でピークとして認知できなくなればOK」としています。

この理論で解釈すれば、ミキサーがよりフラットで、より高品質なモニター環境に身を置かなければならない理由としても信じることができます。

そして、普段からピーキーな言語で会話している私たちは、かなりピークに鈍感な人種です。

つまり、私たちは所属するクラスタによってサウンドの嗜好性すら左右されているということを理解し、できるかぎり自分の耳が常にどこのクラスタにも属さない状態を維持する努力が必要であるということです。



はい、前編はここまでとします。

お疲れ様でした。

前編をまとめると、

「フラットで滑らかなサウンドを追求していくんだけど、素材(言語)によって考慮しなければいけない点があるし、音楽性を担保したまま、どこまで滑らかな音にできるだろうか」

ってことです。

後編はいよいよ、これらの概念をよりボーカルコンプレッサーに活かすための解説をしていきたいと思います。


本記事が皆さんのお役に立てば幸いです。

読んでいただき、ありがとうございます。後編も楽しみにしていてください!

うにお

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